朝、目がさめたとき。大きな問題はないのに、胸のあたりが少し重い。
仕事も家事もそれなりに回っているのに、「この先も、ずっとこんな感じなのかな」と、うっすらしたあきらめがわいてくる。
これが、そこはかとないマイルドな絶望感です。
この世界には、3つの生き方の世界がある、と考えてみてください。
1つ目は、弱肉強食の世界。
職場で成果を競い合い、ママ友の会話ではさりげなく子どもの成績や暮らしぶりをくらべる。
SNSでは、知らない人のきらびやかな投稿を見て、自分だけ取り残された気がする。
いつもどこかで力んでしまう世界です。
2つ目は、ギブアンドテイクの世界。
その中でも心をすり減らすのが“ブラックな”ギブアンドテイクの世界です。
「家族のために、こんなにがまんしているのに」
「私ばかり、家事も親のことも背負っているのに」と、心の中でポイント計算をしてしまう。
そして見返りが返ってこないと、「どうせ、私なんて」と静かな絶望感に変わっていきます。
でも、本当はもうひとつ、“ホワイトな”ギブアンドテイクの世界もあります。
自分の得意や好きなことを発揮して、「ありがとう」と一緒に見返りを受け取る世界です。
「料理はわたしがやるから、あなた、ゴミ出しとお風呂掃除はお願いしていい?」
「お母さんは送り迎えをがんばるから、あなたは宿題をちゃんとやってね」と、きちんと話し合って役割を分け合えているとき。
そこには、犠牲ではなく、すっきりした満足感が生まれます。
3つ目は、分かち合いの世界。
誰かが弱っているときに「今日は大丈夫?」「手伝えることある?」と声をかけ合う世界です。
「どちらがどれだけやったか」ではなく、「どうしたらおたがい楽になれるかな」を一緒に考えます。
帰りが遅くなった家族に「ごはんは軽めでいいよね?」とさりげなく気づかったり、自分がしんどい日は「今日はコンビニごはんでゆるして」と正直に出す。
そんな小さなやりとりの積み重ねです。
現実の社会は、弱肉強食やブラックなギブアンドテイクの空気がまだまだ強く、そこに長くいるほど、「大きな不幸ではないけれど、どこか空しい」という気持ちがふくらみやすくなります。
でも、「家の中をどんな世界にするか」は、あなたが選ぶことができます。
まずは、ブラックなギブアンドテイクをやめて、ホワイトなギブアンドテイクに一歩ふみだしてみること。
「今日はつかれたから、洗い物をお願いしてもいい?」と具体的に助けを求めること。
そして「帰ってきてくれてありがとう」「やってくれて助かったよ」と、小さな「ありがとう」を少し多めに伝えること。
その小さな選択の積み重ねが、「ここなら、ほっとできる」と感じられる場所を、あなたの暮らしの中に育てていきます。