父は社会、母は居場所。我が子の心を守る会話術

子どもとの会話は、気づくと説教になっていたり、ため息まじりになっていたりします。
「ちゃんと育てなきゃ」と思うほど、言葉がかたくなるものです。

父親は「社会の象徴」です。
子どもは無意識に、「お父さんみたいな人が社会にいる」と感じています。
たとえば、父親が失敗しても「まあ、なんとかなるよ」と笑っている姿を見て育つと、
「社会に出ても、失敗しても大丈夫」「自分の意見を言ってもいい」と感じやすくなります。
逆に、いつも眉間にしわを寄せて「なんでこんなこともできないんだ」と責められていると、「社会は怖い」「外に出るのはしんどい」と感じやすくなります。

進路の話をするときも同じです。
子どもが「本当は絵の勉強をしたい」と言ったとき、「そんなの食べていけないからやめなさい」と切り捨てるのか、
「そう思うんだね。どうしてそう感じたの?」と一度受け止めるのかで、
「社会は夢をつぶす場所」なのか「挑戦してもいい場所」なのかというイメージが変わります。

一方で、母親は「身近な人間関係の象徴」です。
友だちやパートナー、職場の人との関係の「原型」になりやすい相手です。
子どもが学校であったことを話したとき、「そんなことで落ち込んでたの?もっと頑張りなさい」と返してしまうと、
「本音を話しても、どうせ分かってもらえない」と心のどこかで決めてしまうことがあります。
反対に、「それはつらかったね」とまず気持ちを受けとめてもらえた経験があると、人に気持ちを打ち明けることへのハードルが下がります。

こんな話があります。
あるお母さんは、娘さんに「学校の人間関係がしんどい」と打ち明けられたとき、
「世の中にはいろんな人がいるのよ。その練習。我慢、我慢」と言ってしまいました。
その後、会話は減っていきました。
その反省から、息子さんが部活で悩んでいると話してきたとき、「そうなんだね。話してくれてありがとう」とだけ返してみました。
すると息子さんはほっとした顔になり、それから少しずつ学校のことを話してくれるようになりました。

「正しいアドバイス」よりも、「気持ちを受け取ってもらえた」という感覚が、人とのつながりの土台になるのだと気づいたそうです。

子どもと会話するとき、父親は「社会の入り口としてどう関わるか」、母親は「心を安心して開ける場所としてどういるか」を、少しだけ意識してみてください。「この子が社会に出るとき、どんな言葉を思い出してくれたらいいかな?」
「この子が人とつながるとき、どんな安心感を持っていてほしいかな?」
と、自分に問いかけながら一言一言を選んでみるだけで、会話の空気はやわらかくなります。

もし「だいぶキツい言い方をしてきたかもしれない」と感じるなら、今から修正しても遅くありません。
「さっきは言い過ぎたね、ごめんね。本当は、あなたの味方でいたいんだ」と言い直すことも、立派な会話術の一つです。
完璧な親になる必要はありません。

子どもが「ここなら、どんな気持ちを出しても大丈夫」と感じられる空気を、一緒に育てていくこと。
その積み重ねが、我が子とのいちばんの財産になっていきます。